導論
本書の出発点は、台湾・東海大学日本地域研究センター(中国語標記:東海大學跨領域日本區域研究中心)の開設記念行事の一環として、2011年5月17日に台湾台中市で行われた国際シンポジウム「大転換の東アジア:ECFA体制下における日台社会・政治・経済構造の変容と展望」である。ここで行われた議論は、ある意味で、シンポジウム参加者の間で本書の上梓までずっと続いていた。文字テクストに偏りがちなシンポジウムの性格を補うために、期間中の会場内外での議論も、各章の担当者が再構成・再編集して、本書の章間に収めた。我々の議論がどのような場で、どのような意識の下で生まれたのかを知っていただくことは、本書を理解する上で重要だと思う。したがって本書は、シンポジウム周辺の知的営為の記録という性格も併せ持つものである。
さて、本書を手にする日本の読者の中には、台湾の知識人が持つ問題意識や時代認識に、今までに接した経験がない方がおられるであろう。日本の新聞にもしばしば台湾の政治記事が見られるようになったが、多くが「政局」のレベルであり、社会的精神的な深層に切り込むものは少ないように思われる。若干の認識を共有するために、国際シンポジウムや本
書の背景、さら言えば台湾の大学に「日本地域研究センター」が存在する背景について、私なりの「独り言」を記してみたい。
近代社会学の父マックス・ウェーバーが、十八世紀のヨーロッパに資本主義を成立させ発展させた原動力は、技術の進歩でも商業の発達でも資本の蓄積でもモダン的制度でもなく、資本主義のエートスであると考え、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を著した。ウェーバーの言う資本主義のエートスは、プロテスタントの宗教倫理たる世俗内禁欲に由来する。禁欲的プロテスタンティズムがあるがゆえに、欧米ではプレモダン的商業からきっぱりと決別してモダン資本主義をスタートさせることができたというのである。いわば、資本主義のエートスとは、資本主義に魂を吹き込む神の息のようなものなのである。もちろん資本主義だけではない。およそモダン的なるものすべてにおいて、それを我が物とするには、モダン的なエートスが不可欠なのである。
しかし、他力によって近代化への道のりを突き進んだ台湾には、もとよりそうしたモダンの前提条件は存在しなかった。同時に、自分たちの「国家」、「国民」がどのような姿をしているのか、自分たちの社会がいかなる規範に支えられているのか、自覚する余裕もなかった。己の姿に無自覚のまま、相手の姿を知ることもなく、近代台湾は日本人や中国人やアメリカ人等を通じて近代化を取り入れ、百年以来、自己説明ができないままで擬似モダン社会を生きてきた。
昨年暮れ、ひとつ予想外のニュースが飛び込んできた。北
朝鮮の金正日総書記死去と三男金正恩氏の最高指導者就任がそれである。独裁者の終身制と世襲による後継決定、東アジアには未だにプレモダン的な国家が存在している。一方、台湾では1月中旬の総統・立法委員同日選は馬英九・国民党の勝利に終わった。民進党の蔡英文候補は敗れたが、52%対46%の現実からみれば馬政権のこれ以上の対中傾斜は難しい。暫く台湾海峡が安泰だろうとはいえ、投票日二週間前の2011年12月30日、馬政権が徴兵制から募兵制への兵役制度の移行を宣言した1ことには考えさせられる。
義務兵役は、戦後の半世紀以上、長期間に亘り「国民」の身体と精神を制限し、議論する余地もなく受け入れられていた。皮肉な運命のように、半世紀を超えた現在、廃止されることもあまり議論されず、すんなりと受け入れられるようである。近いうちに(2014年頃)、徴兵制は台湾社会の歴史的記念物になり、安易な「平和」感覚が蔓延していくかもしれない。中台和解と徴兵制廃止を同時に実現することは、台湾のポストモダン的な性格を如実に示すことになるであろう。
本書の目次は次の通りである。
第一章、木村雅昭、「EUと東アジア共同体」
第二章、島田幸典、「『国制』としてのヨーロッパ―主権国家の後に来るもの―」
第三章、張啓雄、「『東アジア共同体』の伝統的な地域統合概念の発見―東洋の歴史経験と文化価値の分析―」
第四章、滝田豪、「日本知識人の外交論と『東アジア共同体』」
第五章、東郷和彦、「東アジア共同体の構築―背景としての日中関係―」、
第六章、何思慎、「東シナ海争議下の日中関係」
第七章、三宅康之、「日本から見た中国台頭の社会的経済的意義」
第八章、宋錫源、「朝鮮半島からみたグローバル・パワーとしての中国」
第九章、陳永峰、「『海洋中華世界台湾』と『海洋国家日本』の交錯―『世界単位』としての東アジア」
結局、一言で言うなら、本書は、日本、韓国、台湾の知的世界における第一線の研究者を中心に、欧州地域協力と東アジア地域協力の歴史・思想・現状と課題を明確化し、今後の地域協力と協調へ向けた具体的な政策提言を試みた野心的な共同研究の成果である。本書を通じて、首肯するにせよ批判するにせよ、読者が少しなりとも知的刺激を受けてくださったとしたなら、ここに結集した各国のメンバーの思いは十分に果たされたことになる。
なお、本シンポジウムは、東海大学の他、財団法人日本交流協会、行政院大陸委員会、教育部、財団法人台湾民主基金会、台湾現代日本研究学会の援助を得て開催された。本書の刊行は、台湾大学出版センターの関係者及び、本書のもう一人の編者でもある台湾大学人文社会高等研究院「日本・韓国研究統合プラットフォーム」徐興慶執行長から多大な御協力を受けた。ここに感謝する。
2012年3月23日、ガジュマル並木の傍の研究室にて
陳永峰 東海大学日本地域研究センター執行長
跋文
あとがき
台湾の台中にある東海大学「日本地域研究センター」及び日本言語文化学系の主催、(財)台湾民主基金会、(財)日本交流協会、台湾現代日本研究学会などの共催で、台湾中部にて初めて「大転換の東アジア:ECFA体制下における日台社会・政経構造の変容と展望」(2011.5.17)と題する国際シンポジウムが開催された。
本書に収録された諸論文は、上記のシンポジウムにて発表し、かつ補述した研究成果であり、おもに以下のように焦点を絞って書かれている。(一)、欧州統合をヨーロッパ史全体における境界画定・領域編成過程の中で捉え直し、今日の欧州における政治的変化、ヨーロッパ統合の動き、国家を超えた地域共同体の建設などを視野に収める。(二)、日本の外交論の文脈から「東アジア共同体」を考察する。中でも、中華世界における秩序の角度から東アジア共同体の地域統合概念を考える。そして、日中関係のありかたを、その歴史と政治の側面から分析すると共に「日本から見た中国台頭の社会的経済的意義」を取り上げ、日本社会の経済的影響、さらに国際社会におけるプレゼンスへの影響を読み取ろうとした。(三)、韓国の外交戦略、国内政治をめぐるアメリカと中国における連動の問題。(四)、「海洋中華世界台湾」と「海洋国家日本」の交錯:「世界単位」としての東アジアを捉え、台湾の国民性における商人的性格を分析する。
このように、今回のシンポジウムにおいて、木村雅昭(京都大学)、島田幸典(京都大学)、張啓雄(台湾、中央研究院)、滝田豪(京都産業大学)、東郷和彦(京都産業大学)、何思慎(台湾、輔仁大学)、三宅康之(関西学院大学)、宋錫源 (韓国慶熙大学校)、陳永峰(台湾、東海大学)など専門的な学者が一堂に台湾の台中に集まり、「東アジア共同体」の可能性について論議した。
本書の出版は大変有意義であり、二十一世紀における、転換中のEUと「東アジア共同体」のあり方について大きな示唆を与えると共に、「台湾から世界を考える」課題に資するものであって、この研究課題を台湾においても広く根付かせる契機になることを心から願うものである。
末筆ながら、原稿をご提供してくださった日本側、韓国側並びに台湾側の諸先生に心より感謝申し上げる。また、このシンポジウムの主催者である東海大学の程海東学長、「日本地域研究センター」陳永峰執行長のご協力に感謝の言葉を送りたい。
二〇一二 春 訪問研究先
京都国際日本文化研究センターにて
徐 興慶(台湾大学)